北京郊外の明十三陵で、昭陵・定陵・神道を訪れました。 最初の昭陵では、赤い門や祾恩殿など、地上に並ぶ建物を見学しました。次に向いた定陵では、雰囲気が変わります。

定陵の最大の手前は、皇帝の陵墓の地下に造られた宮殿です。 地上で門や明楼を見た後、地下へ下り、石造りの部屋を歩いて進みます。 地下宮殿はなぜ公開されているのか。中にある石の座や赤い展示は何を見せているのか。

この記事では、昭陵から定陵への移動と実際に支払った料金、定陵の歴史、地上の建物、地下宮殿の内部を紹介します。写真を撮って順番に歩いて、入り口から出口までたどっていきます。前の記事は下のリンクから↓

【明十三陵・昭陵観光】三里屯からの行き方・開放時間と、実際に歩いた見学ルート北京・明十三陵の昭陵を実際に見学。三里屯のホテルから配車アプリで向かった行き方と料金、開放時間、隆慶帝の陵墓に並ぶ門・祾恩殿・石碑の見どころを、撮影した順に紹介します。...
まるみ

昭陵の次に行った定陵は、どんな場所だったの?

まるもん

万暦帝と2人の皇后の陵墓だよ。地上の門や明楼を見た後、地下宮殿にも入れるんだ

まるみ

皇帝のお墓の地下を歩けるの?

まるもん

うん。石造りの通路や部屋が続いていて、皇帝と皇后のための石の座も見られたよ。今回は昭陵からの移動も含めて、歩いた順に紹介するね

定陵は万暦帝と2人の皇后の陵墓

定陵に葬られているのは、明の万暦帝(朱翊鈞)と2人の皇后です。万暦帝は、1記事目で訪れた昭陵に葬られている隆慶帝の息子。私は父の陵墓である昭陵を見てから、息子の定陵へ向かったことになります。

万暦帝は、自らが生きている間陵墓の建設を進めました。定陵の工事は1584年に始まり、1590年に地上の建物が完成します。

定陵が現在の観光地として特別なのは、明十三陵の中で唯一発掘された皇帝陵であること。 1956年に地下宮殿の発掘が始まり、1959年に定陵博物館として公開されました。

昭陵から定陵へ|配車料金は13.50元

昭陵を見学した後、配車アプリ「滴滴」で定陵へ移動しました。

朝8時40分ごろに「明昭陵・正南門チケット売り場付近」から「定陵・東南門チケット売り場付近」への車を注文しました。 実際に支払った料金は13.50元でした。

名前明十三陵という一つの観光地名で呼ばれていますが、昭陵と定陵の入り口は別々です。配車アプリを使う場合は、次に行く陵墓の入り口と目的地を指定しておくと、移動の流れがわかりやすくなります。

定陵の観光に入ると、「明十配陵エリア・定陵」と書かれた表示や、入口へ続く道が見えてきました。ここから一歩別の陵墓の見学が始まります。

定陵の開放時間と入場料

北京市の案内では、定陵の開放時間は閑散期8時30分~16時30分、繁忙期8時30分~17時30分とされています。訪問の際は最新情報も確認してください。

一般入場料金については、北京市の観光サイトに閑散期40元、繁忙期60元と掲載されています。私が訪れたのは3月ですが、手元の配車履歴からチケットの購入金額までは確認できません。この40元は当日支払いとしてではなく、掲載されている一般料金として紹介されます。

定陵は敷地に入ってすぐ地下宮殿へ着くわけではありません。 地上の建物を見ながら奥へ歩き、地下へ下り、再び地上計画へ出る見学になります。時間を過ごすときは、その移動も含めて考えてよいでしょう。

地上の定陵|門や建物の「跡」を見る

入口から進むと、石碑や広い石畳の空間が現れます。

セキュリティチェックを受けて入場します。

さらに奥には、赤い壁に三つの通路が開いた門がありました。

門を抜け、木々の並ぶ道を進んでいきます。

昭陵では復元された祾恩門や祾恩殿の建物が目を引きました。一方定陵では、かつて存在した祾恩門や祾恩殿の遺構が残っています。

木々の間に明楼が少しずつ現れ、正面近くまで進んで見上げるような角度になりました。

明楼のさらに奥には、埋葬の中心部である宝城・宝頂が続きます。 地上を歩いていると、つい地下宮殿の入り口ばかり気になりますが、定陵が広大な皇帝陵であることは、この明楼と周囲の構造からも感じられました。

地下宮殿はどんな造り?

園内の案内に従って進んで、「地下宮殿」の方向を示す目印がありました。

地上から見えない場所にどんな部屋があるのか​​、ここで確認してから下に行きました。

定陵の地下宮殿は、前室・中室・後室と、左右の配室を合わせた五つの部屋からになります。 総面積は約1,195平方メートル。 部屋と部屋の間には石​​の扉が設けられています。

地下へ下りる|外の景色から石造りの空間へ

「地宮入口」と書かれた場所から、地下へ行きます。 入口には地下の平面図も掲示されています。

地上では木々や空が見えていましたが、階段を下りると周囲が石の壁に変わりました。

地下の通路には照明があり、アーチ状の天井が奥まで続きます。

写真を見ると同じような石壁が続いているように見えます。実際歩いて、通路の先に部屋が開け、その先にさらに別の部屋が現れることが分かりました。

地下宮殿の石の扉にも、皇帝陵ならではの造りがあります。 前・中・後の部屋の扉が白い石で造られ、扉の表には環や多数の鋲を模した装飾が施されています。

石で囲まれた空間を実際に歩くと、地下宮殿が静かに床に掘られた穴ではなく、部屋や通路、扉を備えた大きな建築であることがよくわかります。

中室|万暦帝と皇后のための石の座

地下で目が覚めたのが、白い石で造られた座と、その前に並ぶ器です。ここは万暦帝と2人の皇后の座が置かれた中室に当たります。

石の座の前には黄色い釉薬を施した供物用の器や、青花の大きな磁器が置かれていました。 現地の写真でも、白い石の座と青い模様の器が同じ画面に書いてあります。

昭陵の祾恩殿は、地上で皇帝と皇后を祭る建物でした。 定陵の地下では、埋葬のために造られた空間に静かな座が設けられています。

後室|赤い展示が並ぶ地下宮殿の奥

さらに進んで、赤い箱形の展示が並ぶ部屋に出ました。後室は地下宮殿の中で最も広く、万暦帝と2人の皇后の棺が安置されていた場所です。

後室に入ると、石の広い空間に赤い箱形の展示が並んでいました。 灰色の石壁の中で赤い色が際立ち、地下宮殿の造りの中でも特に印象に残った場所です。

後室は、万暦帝と2人の皇后の棺が設置されていた部屋です。 地下宮殿の中で最も大きな部屋でもあり、実際にその場に立って、皇帝陵の規模を感じられました。

定陵の発掘では、冠や衣服、器など膨大な文物も発見されました。地下宮殿の広さだけでなく、そこから明代の宮廷生活を伝える品々があったことも、定陵が重要な理由の一つです。

【体験談&ここまでで結構歩く】

入場門からこの地下通路まででかなりの距離があります。歩きやすい靴はもちろん、ランニングシューズなど運動に適した靴で行くことをおすすめします。

地下宮殿から地上へ戻る

地下の見学を終えて地上へ出て、木々の間から日の光が差していました。 石壁に挟まれた道を歩いて、地下の閉じた空間から外へ戻ってきたことを悟りました。

その後は地上の石碑を見学しました。屋根のある場所に高い石碑が立ち、近くで見るとその大きさが感じられます。明楼の石壁や赤い門も眺めながら、出口の方向へ向かいました。

定陵は「地下宮殿に入れる場所」として紹介されることが多いもの、地上の門や明楼、石碑から地下へ続いて順番で見学すると、陵墓全体の構造をつかみやすくなります。

昭陵と定陵を続けて見て分かった違い

昭陵と定陵には、見たときの印象にはっきりとした違いがありました。

どちらか一方だけなら、定陵の地下宮殿の方が特徴は分かりやすいかも知れません。 昭陵では、門や祾恩殿など、地上に並ぶ建物を見学して歩きました。 その後に定陵を訪れて、地上の建物を見てから地下宮殿へ進むという、皇帝陵の異なる一面を続けて体験できました。

【体験談&朝はほとんど人がいない】

時期にもよりますが、朝はほとんど人がいません。なのでいい写真を撮りたい、ゆっくりと写真を撮りたいという方は朝に行くことを強くお勧めします。

定陵から神道へ|配車料金は21元

定陵の後は、明十三陵の神道へ向かいました。

配車アプリで、「定陵大巴駐車場・出入り口」から「明十三陵神道・南門観光客センター」までを注文しました。料金は21元でした。

この日、昭陵から定陵へは13.50元、定陵から神道へは21元を支払いました。同じ明十三陵の中ですが全域点は離れており、移動を含めて一日のルートを考える必要があります。

まとめ|定陵では皇帝陵の地上と地下を見られる

定陵では、入り口から門や明楼を見ながら奥へ行き、地下宮殿に入りました。 地下宮殿は五つの部屋で構成されています。 石造りの通路を抜けて、万暦帝と皇后のための石の座が置かれた中室、棺が設置されていた後室まで続きます。

定陵は、万暦帝と2人の皇后が眠る陵墓です。 16世紀に大規模な工事を経て造られ、明十三陵の中で唯一発掘された皇帝陵でもあります。 地上の建物と地下宮殿の両方を歩くことで、その規模と構造を感じられました。

定陵の次に訪れた神道では、道沿いに並ぶ石像を見学しました。3記事目では、実際に歩いて順番に歩いて神道を紹介します。

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